「大事なことだから向き合いなさい、ちゃんと考えなさい」
と言われても、うまくできない、、、ということ、ありませんか。
たとえば日本とその周りの国々の関係、であったり。
東日本大震災とその後のこと、であったり。
「これまでの歴史」や「見たことのないできごと」と「現在の私」のあいだにぽっかりと空いた穴のようなものに、戸惑う。
そして、その居心地の悪さから、いちばん気安い選択として、「見ない」ことを選ぶ。
私自身にもそんな経験がありますし、「考えようというなら、考える材料がほしい」と思っていました。
そして、そんなときに出会ったのがこの本、であり、作者である映画作家・甫木元空(ほきもと そら)さんの言葉でした。
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被曝した当事者やそのご遺族の方は、まるで人生の記憶のなかに付箋が貼られていて、そのページを開くかのように、自然に事件当時の話をしてくれます。その姿を見て、「ビキニ事件について教えてください」と直接的に訊ねることだけはしないようにしようと決めました。僕が残したいと思ったのは、たとえば家族のことや漁師としての経験の話、いま向き合っている相手の人生がどのようなものであったのか――記号的な「被曝者」「被害者」としての証言ではなく、70年前の事件が、今に繋がっている普通の人を巻き込んだということの軌跡でした。
(まえがきより)
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1954年にアメリカが行った水爆実験で、静岡県焼津の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びました。
もちろん、それも大きな被害となりましたが、じっさいは第五福竜丸にとどまらず、高知県やその他の地域の漁師の方々もまた、被曝していたのです。
1992年、つまり平成生まれの甫木元さんは、活動拠点である高知県で、人々とのかかわりを通し、「高知県にもビキニ事件の被曝者がいる」ということを知ります。
そして、当事者や遺族の方に話を聞き歩いた記録を残すようになり、、、。
本書は、甫木元さんによる被曝者の方々への取材をテーマにした、2021年の展覧会を基に作られています。
自分の言葉でしずかに語るひとたちの、呼吸や表情。ひとつひとつの断片のようなものが、体の内で積み重なっていくとき。「過去のビキニ事件」が、自分たちの生きる場所と地続きのものに変化していきます。
その感覚が、ほかの物事を考える手がかりにもなっていくはずです。
ぜひ、まずはお手にとってみてください。