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一体個人のかけがえのなさとはなんだろう。
私は個人の中に、たとえば母、父、友人の一人一人の中に何を見ているのか?
突き詰めていけば私自身と言ってしまえる、けれどその語だけでは感情的に割り切れない何かがある。
そこにやっぱり「気」みたいな、とてつもなく頼りない言葉が当てはまってくる気がしてきて、それが寂しく感じられるときもあれば充足と感じられることもある。
(中略)
「気」。ふらふらするほど頼りない言葉。
すべてが茫漠としていく。
けれどもそれは薄まっていく、なくなっていくことじゃない。
普遍に寄っていくことだ。
そうしてすべては存在している。
(「他人という”気”」より)
大阿久佳乃さんの新刊『じたばたするもの』、販売中です。
かえりみちでも取り扱うZINE「PINEAPPLE SHOSE」を手がける大阿久さん。
彼女が小説や詩と「ともに生活すること・生きること・感じること」そのものを綴った18編のエッセイを収録しています。
小説や詩が描かれた時代と、今この瞬間。そのふたつは、一見遠い場所なのに、彼女の言葉を追いかけていると、それらはぐっ、と近づいて、目と鼻の先になるような感覚があります。
いつの時代にも漂う、普遍的な孤独やさみしさのようなものが、大阿久さんの手で生き生きと蘇るのが心地よく、くせになる一冊です。
『じたばたするもの』
サウダージ・ブックス刊
1980円(税込)