自分を離れて自分を見ることで、やがて一層よく自分に戻ることができます。
そうすることで内面を静観し、味わうことができるようになります。
苦しい感情が湧いたときには、相手を責めるのでも、卑屈になるのでもなく、ただ自分の感情をそのまま味わうことから見えてくるものがあるかもしれません。
そして、自分の掌を見つめながら「これでいいのだ」と一人小さく頷くことができれば、その人はようやく一歩ずつ自分の道を進むことができるでしょう。
自立とは、社会の中で他の力を借りずに自分の力で生きていくことではなく、むしろ不安定な社会の中で自分の足場を確かめつつ歩む過程の中から表出巣つものだと思うのです。
「依存先を増やすこと」が自立であるという話もありますが、増やすまでもなく、私という存在に初めから多くの人たちの影が織り込まれています。その影たちを含んだ「私」を味わうことから、自分の道が始まるのだと思います。
(「それぞれのストーリー」より)
親が知らず知らず子どもに与えてしまっているもの。親からは見えにくい、子どもたちの思い。
中高生の学習塾と単位制高校を営む鳥羽和久さんが、子どもたち、そして親たちと関わりながら見出したのは、ひとりひとりの「人」の姿でした。
タイトルから、子育てや教育の話、とひとくくりにして手に取らないのはあまりにももったいなく。
むしろ、ひとりひとりの性質までもカテゴライズしてしまうこの時代にこそ見つめ直したい、「人間関係」そのものを描いた一冊ではないでしょうか。
鳥羽さんの言葉は、強く問題提起するというのとも、道を正すというのとも、なんだか違います。
答えのない人間関係に問いを重ねていくこと、わからない、という曖昧さそのものと付き合っていくことの必要性が、流れるように伝わってくる。そんな文章です。