わたしたちの「いのち」は、どこに存在しているのでしょう。脳や心臓が活動をやめてしまったら、その時点で終わりなのでしょうか。哲学者の内山節さんは、生と死をはっきりと隔てる考え方は、現代特有のものであるといいます。そして、一人一人が生命を固有のものとして捉えることが、人の孤独を深めているのではないか、と。そこで例に出されるのが、内山さんが拠点とする、群馬県のある集落の暮らし。集落の人々は、周囲の人や自然など、他者との結びつきを中心に生きているからこそ、その一部としての死も、不安なく迎えられるようです。彼らの「いのち」の捉え方が、人との関係が希薄になったわたしたちの今を、ささやかに照らしてくれます。