何がしきりにわたしたちを臆病者にさせるのだろう。わたしたちを絶えず孤立させ、ああはなりたくないと人に思わせ、軽蔑されやすい顔に変貌させ、何かを証明しなければと常にみずからを追い立てる、この病の名は何だろう。わたしたちはいつから、災害の真っ只中で岩のように重くなった子どもをおぶって走る(でも走れない)夢を繰り返し見るようになったのだろう。このウイルスの本当の名は何というのだろう。
(「わたしたちが坡州に行くといつも天気が悪い」より)
女3人でのあつまりをきっかけに新型コロナウイルス感染の疑いが浮かび、周囲に冷たい視線を向けられながら隔離生活を過ごすこととなったク・チウォン。
病んだ父に代わり、十代のころから家族を養いながらも、容姿を理由に「女家長」「巨人」「女傑」「女横綱」とあだ名をつけられてきたク・ウンジョン。
たとえば、この本に出てくるのはそんなひとたち。
そのひとたち一人一人の背中にある荷物は、本の外から見ていると、あまりに重たすぎるように見えます。
重たすぎるのに、当然持たなければいけないものとして、荷物を背負っているように、見えます。
だから、でしょうか。
その姿を見ていると感じないわけにはいかないのです。今はまだ下ろすことのできない荷物が、本の外にいる私たちの背中にもまた、乗っかっているということを。
荷物はある。あなたの背中にたくさん乗ってる。
重い荷物が乗っていると感じるのはまちがいじゃないから、ちゃんと重いと、痛いと言って。
本の中のひとたちに、なりふりかまわずそう伝えてあげたくなるようなのに、本当はむしろ、本の中の人たちが、本の外にいる私たちに、そう伝えてくれているのかもしれません。
曖昧な紹介になってしまいましたが、とても力強い、頼もしい魅力のある短編小説集です。
ぜひ、お手に取っていただければと思います。
解説:大阿久佳乃
帯:小山田浩子
装画:前田ひさえ