
『〈寝た子〉なんているの? 見えづらい部落差別と私の日常』入荷しました
里山社さんからあたらしい本が届きました。
上川多実さんの『〈寝た子〉なんているの? 見えづらい部落差別と私の日常』という作品です。
装丁は名久井直子さん、装画は花松あゆみさんです。
上川さんの本を読んだあとの感覚が何かに似ているなあとずっと思っていました。
ある朝、コンタクトレンズをつけたときに「あ!これだ!」と気づきました。
私は家の中で過ごすときも、裸眼では不便を感じるくらい視力が弱いので、めがねやコンタクトレンズをつけると、一気に視界がクリアになって過ごしやすくなります。
そうしてみると、床に落ちているものを踏んづけて壊したり、机の端に置いてしまったグラスを落としたりということが減るのです。
逆に、自分の便利さゆえに目を凝らしていて「にらまれてしまった」と人を落ち込ませてしまうことも減るので、少し安心です。
視力が上がれば、何もかもが見えるようになるわけではないけれど、見えないということに甘んじて、何かや誰かを傷つけるということは多少、避けられるのかもしれません。
人との対話においてもまた、誰かや何かの助けを借りることで、見えていなかったものが見えてくるのでは。
無意識に不用意に、人を傷つけたり蔑んだりすることを避けられるのではないかと、『〈寝た子〉なんているの?』を読んであらためて、気づかせていただきました。
今はもう部落差別などない、と思っている人も多いかもしれませんし、私自身も、身をもって実感したことはありませんでした。
しかしこの本と出会い、部落出身であるということで、学校での居心地が悪くなったり、住所をネット上に上げられたりという方もいるのだと知り、愕然としました。
「知らない」ことで「ない」ことにされてきた人々の傷を、想像してもしきれません。
もしかしたら教室を共有してきただれか、言葉を交わしてきただれかの中にも、そんな思いをしてきた人がいるのかもしれません。
そうして想像することは、少なからぬ反省をともなうものなので、勇気が出ない、という人もいらっしゃることと思います。
でも、この本で綴られた、親や友人との距離感、人生選択、子育てなどなどへの悩みや立ち止まりは、とても親しみやすいもので。
なんだか、上川さんという、正直な気持ちを素直に語ってくれる友人が、一人増えたような気持ちになりました。
お客さんともときどき、人と人のちがいについて話すことがあり、私も私なりの考えを話すことしかできません。
「差別」ということはあまりに重たく、つい自分の内側で、頭の中を狭くしてぐるぐる考えてしまうことも多々。
一方で、上川さんの言葉や発想は、軽々しくなりすぎず、でも広々と、人と人のちがいを感じ、気づき、語り合うための空間を与えてくれるような、考えるヒントを教えてくれるような感覚があり。
その感覚は、たとえば性や年齢、病や障害、出身地、肌の色によって差別を受けてきた人々への視線にもつながるのでは…と、学ぶところがとても多かったです。
私自身、これまでにも、里山社さんの本によって、肌が黒いということや病とともに生きていること、女性であるということを「見えないこと」にされてきた人たちと、本の中で出会うことができ。
それまで見えていなかったものがクリアに視界に浮かび上がるような感覚を得て、一人の人間として、とても助けられました。
どの本もすばらしいですが、中でもとくに、身近な気持ちで読める本だと感じたので、ちょっと気合いを入れてご用意しています。
でもまだまだたくさんの人に読んでほしいので、みなさんぜひ、買いにいらしてくださいね!